月別アーカイブ: 4月 2011

爽快潔リビング ~リニューアルオープンのお知らせ~

本日は、当店ネットショップ「爽快潔リビング」リニューアルのお知らせです! 元々このブログは、ショップ支配人である私の日々の生活をご紹介することで、当店ネットショップのお客様との心理的距離を縮めたいという目的で開始しました。 ブログを始めて約9カ月。当初の予想に反し、当店ネットショップ経由以外の訪問客が主流となっているようです。 そのような事情もありますので、今回は爽快潔リビングの話を少々させて頂きます。 ”爽快潔Living”は、東洋紡さんが開発した革新素材”ブレスエアー”を使用した爽快潔商品の素晴らしさを、一人でも多くの方にお伝えすることを目的に、2010年初春に立ち上げたブレスエアー専業加工メーカー母体のネットショップです。 オープン時は、商品点数わずか4点の小さい規模でスタートしました。お客さま、関係各位からご助言やご協力を頂きながら、この半年間新製品の企画開発を進めて参りました。 そしてこの度、老犬・高齢犬向けベッドマットや長距離・長時間ドライバー向けカークッション等の新製品に加え、人気の敷布団シリーズを装い新たに3種類導入致しました。 今後も、インソールやベビー向け商品等、ブレスエアーの高機能を活かせる商品を企画開発し、皆さまにお届けしたいと思います。 今後もご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。 爽快潔リビング ショップ支配人 小林清

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京都街角スナップ

私事で恐縮ですが、(と言っても、このブログ自体が私事の塊ですが…)、GW前の当店リニューアルに向け、現在佳境に入っています。今年は京都の春を愉しむ余裕もなく、土日も終日仕事に追われている今日この頃です。 という訳で、今週は私のお気に入りの京都街角スナップ写真にて、ブログを進めたいと思います。(ものすごい手抜きブログで恐縮です。) このスナップコラージュ写真をご覧頂きながら、しばしご歓談(?)ください。 (追記:このスナップコラージュを自分で眺めて、一つ発見しました。私は無意識のうちに、右上からのハイアングルスナップを撮る癖があるようです… 以降ハイアングルスナップを撮る際は、左上からのアングルも心がけようと思います)

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妖怪ストリート

京都には、個性的なストリートがたくさんあります。若者が集まるトレンディな三条通り、家具やインテリアの店が密集する夷川通り、電器オタク街~観光客向けアーケード街~古美術街と、スポットで表情を変える七変化の寺町通り、艶めかしい置屋建築が連なる宮川町通り。 そんな個性派が集まるの京都ストリート軍団。今日はその中、知る人ぞ知る妖怪ストリートを紹介したいと思います。 場所は京都市内の北西、学問の神で有名な北野天満宮の近くです。一条通りにある大将軍商店街の俗称が「妖怪ストリート」。実はこの「妖怪ストリート」は、知る人ぞ知るはおろか、恐らく地元の人しか知らない、超マイナーな個性派ストリートです。 この大将軍商店街は、正直なところ何の変哲もない、どこにでもある寂れた古い商店街です。市内の中心から外れているため、観光客の訪問も期待薄。地元の買い物客も大型店舗に流れ、この商店街も日本全国にゴマンとある、他の危機的商店街と状況は同じです。その中、恐らく必死になって考え出したのが、一条通りに因んだ「百鬼夜行」から、商店街挙げて「妖怪ストリート」の命名とそのブランド化だと思われます。 観光客の方が、わざわざ足を延ばしてこの妖怪ストリートを訪れるべきかと問われれば、私の答えは「うーん」と唸ってしまうところです… 上の写真にある妖怪のオブジェ以外には、特に見るべきものは。。。しかし、限られたネタの中、「何とかしなければ」という商店街の必死な想いと、商店街全体の連帯感は、ひしひしと伝わってきます。 次回北野天満宮に行くことがありましたら、そこから歩いて5分くらいのところなので、ぜひ京都の妖怪に会いに行ってみてください。そして、その商店街で買い物をしてもらえたら嬉しいです。 <京都妖怪ストリート>

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京都軒先探索の旅

京都の桜も今週当りがピーク。ようやく春らしい気候になり、散策が楽しい季節になりました。京都は古い町並みが保存されているので、町なかをブラブラするだけでも楽しいです。 町屋が続く路地を歩いていて、真っ先に目に入るのが、猫の額ほどの狭い軒先。ちょっと注意して見ると、新興住宅街では決して見ることのない、軒先お約束アイテムがいくつかあります。 まずは、町屋での世帯普及率が7割を超えていそうな消防バケツ。京都人の、高い防火意識の表れでしょう。深紅のポリバケツが大半ですが、一部お洒落なオレンジ色のブリキ製消防バケツもおいてます。 そして、町屋の軒先といえば、この曲がった竹で猫の額を覆った、謎の物体ですね。とても風情があり、町屋の雰囲気作りに大きく貢献していますが、果たして何の意味があるのか?諸説あるようですが、その昔、道行く荷車がはねる泥から民家の壁を守るためだったというのが、一番有力のようです。現在は舗装道路ですのでその役割は終えていますが、伝統建築として、祇園界隈を中心に数多く見ることができます。但し、雨風に晒される環境なゆえ、メンテナンスコストも相当かかるらしい。そういう事情もあり、鉄製のモノも時々見かけます。 因みにこの物体、正式名称を「犬矢来」と呼びます。語源は、民家の壁を犬のオシッコから守るためだったとのこと。 犬のオシッコ除けといえば、京都で圧倒的No.1を誇るグッズが、こちらの鳥居。 私も京都に引っ越してきた当初、時々軒先に鳥居が祭られているのを見て、「さすが京都の人は信心深いなあ~」と感心していました。と思っていたら、実はこの鳥居、家の軒先で散歩中の犬にオシッコをさせないための犬除けだったのでした。「飼い主はん、ここでオシッコさせたらアカンで」という直接的な表現を不粋と感じ、神の祟りを利用しながら自分の意思を婉曲的に表現する、いかにも京都人らしい対処法です。 最後は、軒先や家の角に置いてある、先の尖った謎の大きな石。さすが京都、民間人も軒先で枯山水を表現しているのでしょうか? 実はそんな情緒のあるものではありません。ただ単に、無断駐車や、車が自分の土地に入って通行するのを防ぐための石なのです。細い路地で車同士がすれ違う時、その石がなければ確かにちょっと侵入させて貰うこともあるので、結構効果があります。 中には上の写真のような枯山水系の石もありますが、大半はどこにでもある大きな石がドンと置いてあるだけ。石を置きたくなる気持ちもわかるものの、「狭い京都。お互いさまなのだから、ちょっとくらい通らしてあげたって。料簡が狭いなあ。」と思うことも多々ありますが… まあ、こんな石なら、ほのぼのしててOKです。 猫の額ほどの軒先ですが、各家の個性が出ていて、見ていて飽きない探索です。

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トマトラーメン

大阪の本町界隈へ仕事に行く度に、無性に足を延ばしたくなるラーメン屋さんがあります。場所は、大阪市内の中心部なのですが、大阪市民でも余り行く機会の少ない、阿波座というマイナーなロケーション。東京でいえば、さしずめ大崎といったところでしょうか。 お店の名前は「信濃路」。メニューは、トマトラーメンとライスのみ。 大阪で信州信濃路ラーメン?店の外観は、お世辞にも食欲をソソる雰囲気ゼロ。そしてメニューは、トマトのラーメン???私の後輩の強い押しがなかったら、まちがいなく私がここのラーメンと、一生出会うことはなかったことと思います。 実は私、知る人ぞ知る、超トマトフリークなのです。三度のメシよりトマト好き。極上の大トロと極上のトマトを選択しろと言われたら、間髪入れず「トマト!」と答えるトマトバカ。夢は、バレンシアのトマト祭りに参加して、トマトの海で泳ぐ事。(バレンシアトマト祭りの様子:uチューブ) そんな私のとって最高のごちそうは、冷えたトマトに高級粗塩を掛け、丸ごとガブリついて頂くトマト。トマトの青みが少しだけ残った香りを口の中で愉しむのを贅沢と考えているので、トマトは生で食べるのが一番です。まあ、トマトを知り尽くしたイタリア人やスペイン人が調理したトマト料理はOKですが、ラテン系以外のトマト料理は正直不満です。その最たるモノが、英国式朝食の定番であるベイクドトマト。新鮮なトマトを何故焼かなければならないのか???理解に苦しみます… そんなトマトフェチの私ですから、後輩が「美味しいトマトラーメンの店に行きましょう」と誘ってきたときには、正直憤りを感じました。ラーメンにトマトを入れるなんて、トマトに対する冒涜です。もちろん、「ふざけるな!」と彼の誘いをにべもなく断りました。一方、私の好みをよく知る後輩ですから、「だまされたと思っていきましょうよ」としつこく誘ってきます。グルメな彼の舌を信用しているので、「そこまでいうのなら」と、清水の舞台から飛び降りる(?)思いで初めていったのが、二年前。 いやー、衝撃的な出会いでした。だまされる覚悟ができて、ホントによかった。 細麺に、にんにくがしっかり効いた、トマトベースのあっさりスープ。具には、チンゲン菜とセロリの組み合わせ。チンゲン菜とセロリが織りなす独特の香りと苦みが、絶妙に口の中で広がるのです。麺好きの私は、しょっちゅうラーメンを食べにいきますが、こんな味のラーメンは初めてです。個人的には、味は日本のラーメンより、イタリアンに近いような気がしました。その味をイタリアンパスタで喩えるなら、にんにくがたっぷり効いた、エンジェルヘアパスタ&ポモドーロソースのスープ版という感じ。チンゲン菜とセロリが、バジルの香りを演出しています。 満席の周囲を見渡すと、大半の人が小ライスを注文しています。但し、ラーメンライス定食とは違い、誰もラーメンをおかずにご飯を食べていません。ご飯には手を付けず、皆黙々と麺をすすっています。そして、麺を食べ終えるや、おもむろにライスをスープの残った丼の中へ。イヌ飯のイタリア版です。子供がみそ汁の中へご飯を入れると、「行儀が悪い!」と叱っている私も、ここではイタリアンリゾット風イヌ飯を、大いに満喫しています。 トマト好きのあなた、大阪へ行く機会がありましたら、だまされたと思って、ぜひ信濃路へ足をお運びください。 <<<とまとの里 信濃路>>>

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パンドラの箱

震災から今日でちょうど一カ月。我々日本人にとって、この一カ月間ほど「命の尊さ」「将来への不安」「己の無力さ」「自然への畏怖」「家族や仲間に対する感謝の気持ち」、そして「日本人としての誇り」を、複雑な感情が入り混じる中で真剣に向き合ったことはないでしょう。 そしてこの一カ月間、色々な人の発言や行動が、色々な形でニュースになりました。私たちの心を打った、無数の献身的な行動。「売名行為では?」と疑ってしまうような、いぶかしげな言動を取る著名人。バッシングの嵐を受けた、長田大阪府議員や読売巨人軍の清武代表。 歯に衣着せぬ石原都知事は、今回の震災を「日本人の我欲に対する天罰」と言い放ちました。何の罪もない中、不幸にも被災された方々の心境を察すれば、これは暴言でしょうし、配慮を欠いた発言です。一方、今回の震災は、「原発問題」「有事の際の政治力」「日本経済への影響」等、私たち全ての日本人の将来に大きな影響を及ぼす震災へと発展しました。その観点から捉えれば、確かに我々は、石原知事の言う通り、「自然は制御できるもの」「自分さえよければ、他人は二の次」「貧すれば鈍する」状態になっていたような気もします。 「パンドラの箱」という、ギリシャ神話があります。その箱は、予見能力のある神プロメテウスが平和な世界を作るため、「病気、盗み、ねたみ、貧困、悪だくみ」等、世の中のあらゆる悪を閉じ込めた箱です。プロメテウスの弟エピメテウスは、兄とは異なり予見能力ゼロ。そして、兄から制止されていたにも拘わらず、絶世の美女パンドラと結婚します。好奇心の塊でもあるパンドラは、その箱の美しさに惹かれ、エピメテウスに箱を開けるようおねだりをします。兄からは絶対に開けてはいけないと警告されていたものの、美しいパンドラにおねだりされ、エピメテウスは思わず箱を開けてしまいます。その後、箱から飛び出したあらゆる悪が、世界に蔓延。しかし、そこはさずがプロメテウス。箱が開けられてしまうことも予見し、あらゆる悪と一緒に、「希望」もしっかり入れておいたのでした。 図らずも、私たちの慢心が原因で、今回パンドラの箱が開いてしまったのかもしれません。非常に大きな試練が待ち受ける私たちにとって、プロメテウスが入れてくれた「希望」は何なのか?私個人的には、日本人の持つ、「チームワーク・結束力」「相手の気持ちをおもんぱかる心」「貧しても心は鈍しない武士道精神」「相手の弱みに突けこまない気位の高さ」だと思います。突き詰めれば、私たちの原点である「島国農耕民族精神」を集結し、精神的にも経済的にも意気消沈気味の日本を元気にさせることではないでしょうか? 海外支援部隊の人たちが被災地に行き、一様に絶賛しているのが、被災地で略奪や強盗が起きていないこと。私たちにとっては当たり前でも、他の国々では、被災地での略奪強盗が頻繁に起きるのでしょう。 この話を聞くたびに、私はベネズエラ人の友人の話を思い出します。彼はベネズエラの首都カラカスに住んでいるのですが、他の中南米都市同様、カラカスの治安は良くありません。ある日の白昼、彼が市内をバイクで走行していたところ、ハンドルを取られて横転してしまったそうです。バイクから投げ出され、路上でうずくまっている彼に、すかさず数人の人たちが駆け寄ってきたとのこと。そして彼らが取った行動は、残念ながら私の友人を助けることではありません。一人は彼のポケットから携帯電話と財布を略奪し、別の人間は動けない彼の腕から時計を略奪し、その場から逃げ去ったのでした。 この話を聞いた時、同じ人間として、何とも言えない寂しく空虚な気持になりました。更に追い打ちをかけたのは、その追剥強盗に対する、友人のコメント。「カラカスでは、自分の身は自分で守るのが大前提。動けなくなって追剥に遭うのは仕方ないことなので、責任はやはりバイクで転んだ自分が悪い」と、サラっと言うのでした。これを達観というべきか、余りにも悲しすぎるというべきか、日本で生まれ育った私には到底理解できない彼の価値観に接した時、日本人の美徳を改めて実感しました。 この美徳こそ、元気で明るい日本の未来を再興するための源泉であり、希望であることを、今回の震災を通じて学びました。 お金も力もない、私を含めた大半の日本人は、ニュースになるようなスケールの大きい義援活動は出来ないでしょう。しかし、私たち1億2千万の一人ひとりが今回の震災で感じたことや学んだことをしっかり心に刻み込み、小さいことでも前向きに、そして継続的に動き始めたら、日本の未来は決して捨てたものではありません。 私が今すぐにできること。私を生み、育ててくれた親への感謝を深めること。私の人生を支えてくれている、周囲の人たちや社会への感謝を深めること。日本人として生まれたことに誇りを持つことが出来、今まで平和に生きることができた日本への感謝を深めること。夢と希望を抱きながら、目の前にある私のやるべきことを、必死になって取り組み続けること。 夢や希望をイメージすると、心に勇気が湧いてきます。がんばろう、日本!!

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車内教育システム

今日(4月6日)も人身事故で、電車は大幅に遅延。月に1~2回はダイヤの乱れに遭遇するので、慣れっこにはなっているものの、その場に居合わせるとやはりイライラします。 私が通勤に利用しているのは、JR琵琶湖線という路線。この路線は、米原―姫路間を中心に、200km以上の距離を多くの電車が往復しています。しかも、途中京阪神の心臓部を通過するため、京都―三宮間の朝夕は過密ダイヤで運行中。この200km区間のどこかで問題が発生すれば、全区間のダイヤに影響が出てしまいます。 そのような路線に月3~40回乗車している中、私の電車に遅延が発生するのは月平均1~2回なので、20回に一回の発生率。遅延時間の平均は4~5分程度といったところでしょうか? この遅延レベルをどう評価するか?人口の少ない地方でこの遅延度でしたら問題ありでしょうが、京阪神地区であることを考慮すれば、素晴らしいと思います。 以前東京に住んでいた際、電車の遅れで悪名高き(?)、中央線で通勤していました。当時は余り深く考えず、頻繁な遅延に相当腹を立てていました。しかし今思えば、あの過密スケジュール、乗降者数、JR他路線との相互影響度等を考えると、「ミラクル」と呼べるほどの神がかり的な成績です。日本の鉄道会社、「あっぱれ!」という感じです。 都市部に住まれている方でしたら、電車が遅れて鉄道会社に腹を立てたご経験は何度かあることと思います。私は鉄道会社の回し者ではありませんが、冷静に考えると、我々の怒りの矛先を彼らに向けるのは、少々気の毒のような… というのは、遅延が発生するほぼ100%の原因は、鉄道会社には直接的な責がないものばかりです。理由の大半は、「人身事故」「踏切で異常が発生したことによる安全確認」「急病人発生」「乗客間のトラブル(喧嘩等)」「雪や大雨等の天候不良」。彼らがそれらの理由を未然に防ぐには、限界があります。 遅延自体も世界基準でいえば圧倒的に少ないですが、更に日本の鉄道が凄いのは、遅延発生後のリスクマネージメントとダイヤ回復スピード。例えば、朝の新宿駅で電車が10分遅れれば、ホームに人が溢れかえり、大変危険な状態になります。例えば過密スケジュールの中、ある電車に問題が発生し、その電車が数分遅れれば、後続電車への影響は玉突き的に増幅されていきます。想定されるあらゆるトラブルへの対応ノウハウが蓄積され、組織的に迅速に処理する、その特出したリスク管理能力は、大いに賞賛されるべきものでしょう。(各駅ホームの設計、ダイヤ編成には、全てリスク管理項目が織り込まれているようです。) 日本の電車が定刻通り動く理由は、上述した鉄道会社の緻密な計算とリスク管理能力に負うところが高いと思います。そして、その成果の陰には、実は意外にも我々乗客の貢献度も高いのでは、と個人的には思っています。 日本の電車に乗ると、「ここは小学生向けの躾教室か?!」と思うほど、ポスターで、ホームアナウンスで、そして車内アナウンスで、しつこく私たち乗客を教育しようとしています。「黄色い線の内側で、2列になって並べ」「降りる人を先に下せ」「駆け込み乗車は危険だから絶対にするな」「込み合う車内では、ドア付近で立ち止まるな」「車内で携帯電話を使うな」「次はxxx駅。xxx駅の次はxxx駅に停まります」 これら一連のアナウンス。電車に乗るたびにしつこく聞かされ、我々日本人は完全に洗脳(?)されています。そして、これら一連のアナウンス。実は携帯電話の使用(私個人的に、未だにその理由が不可解ですが…)以外は、全てスムーズな乗り降りを実現させるための教育となっているのです。 通勤時間帯の、インド・ムンバイ駅ホーム、中国・上海駅ホーム、そして日本・新宿駅ホームを想像してみてください。どの駅のホームも、到着する電車も、人で溢れています。その中、決定的な違いは、電車が駅に到着してからの乗降者の動き。見知らぬ人たちが集まる無作為集団が、単なる烏合の衆か、或いはあるルールに基づいて組織的に行動するかの違いです。 日本が世界に誇る鉄道運行システム。毎朝何百万人もの人が利用する首都圏鉄道網ですら、遅延が殆ど発生しません。この神憑り的な鉄道インフラですが、仮に首都圏の乗客が全てムンバイのインド人だったらどうなるか?日本のミラクルは、鉄道会社のノウハウと我々乗客マナーの二本立てで成り立っているのです。 そう考えると、電車が数分間遅れることに対し、寛大な気持ちになれるような気がしませんか?

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パウル・クレー展

先週末、パウル・クレー展に行ってきました。パウル・クレーは20世紀前半を代表する前衛画家。私も彼の色使いが好きで、彼の作品を額縁に入れて(もちろんポスターですが…)、家に飾っています。 実は私、抽象絵画が結構好きで、カンディンスキー、モンドリアン、ポロック等の訳の分からない抽象絵画を見ていると、私の乏しい右脳がうずき始める気がします。但し、審美眼や知識に乏しい私は、感覚的に好きなのですが、体系だってその芸術性を説明することはできません。 そんなこともあり、ルーブルやMoMAのように、色々なカテゴリーの作品が展示している中、抽象絵画のセクションで出会う抽象絵画は堪らなく好きです。ルーブル美術館内での抽象絵画は、幕の内弁当に入った卵焼きみたいなものです。決して主役ではないけど、他の脂っこいモノと一緒に食べることで、シンプルだけどその深い味わいを堪能できます。特に、19世紀までの宗教画や新古典主義の作品を観た後に抽象絵画を観ると、胸の鼓動が一気に高まります。 一方、一人の前衛画家の作品を集めた展示会は、実は結構苦手です...お弁当に喩えるなら、卵焼き弁当みたいな感じ。単調でシンプルな中、メッセージ色はひときわ高い。ボケーっとしながら観て回ると、なんだかよく分からず観終わってしまうこともよくあります。 という訳で、パウル・クレー展は私の感性を試す、リトマス試験紙です。個々の作品は好きなんだけど、パウル・クレーの作品展となったときに、果たしてどこまで感情移入をし、作品群にのめり込み、心を豊かにすることができるか?邪念を捨てて観て回る、集中度と精神安定度も大きく問われます。 そんな、高度なメンタルコントロールの技術も必要とする、パウル・クレ―展。果たしてその結果は? 情けないことに、結果は散々でした。作品は秀作揃い、量的にも充分な規模なので、良質な作品展といえるでしょう。一方私は2周したものの、結局は一度も心を揺さぶられずじまい。感動する心の準備は出来ていたものの、鑑賞中は邪念だらけで完敗です。 まだまだ心の修行が足りないようです... パウル・クレー展:2011年3月12日~5月15日 京都国立近代美術館            2011年5月31日~7月31日 東京国立近代美術館

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新学期

いよいよ新学期。不思議なもので、ピカピカの新入生、初々しい社会人1年生は、パッと見ただけですぐに分かります。夢と希望オーラを発しているからでしょうか? でも、考えてみると、日本では新年度がどうして4月1日なのでしょうか?wikiで調べてみましたが、理由がわかったような分からないような… 欧米諸国は、どこも8月か9月が新学期。これも理由はよくわかりません。まあ、欧州は7月~8月がバケーションシーズンなので、夏の長い休暇を終え、心が引き締まった秋口から新年度を迎えるという気持ちは、何となくわかります。年度の切れ目を夏期休暇に合わせるというのは、欧州文化に合っているような気がします。 4月1日を新学期にしなければ理由もないゆえ、日本も欧米に合わせて9月入学に制度を変えるべきという議論も一時期ありました。確かに4月に固執する理由もないですが、桜の季節は捨てがたい。私たちのメンタリティ含め、日本人には桜を見ながら新年度を迎えるのが、やはりベストなのでしょう。(最近は花粉症に悩む方が多いゆえ、春=鬱陶しい季節と思わざるを得ない方も増えてきてしまっていますが。。。) イベントのグローバル化(欧米化???)が進む中、欧米にあって日本にない季節イベントの一つが、サマータイムの導入。この夏時間は、緯度の高い欧州諸国では特にメリットが大きく、また文化的に太陽に対する想いがとても強い欧州人には、絶対になくてはならないイベント(システム)だと思います。 日本では、導入が何度検討されているものの、中々導入までに至りません。確かに日本では欧州ほどのメリットも大きくなく、時間変更に伴うシステム対応に膨大な費用が発生するゆえ、導入に躊躇するのもわかります。一方、欧米で夏時間を経験した身で言うと、一般市民の立場では、得るものはたくさんあるけど、失うものは殆ど何もありません。日照時間が長いのは、単純に生理的にも心地よいですし、屋外で清々しく愉しもうという心理も働きます。 節電対策で、今回も夏時間導入の議論がされています。大半の私たち一般市民にとって、夏時間の導入はプラス面のほうが圧倒的に多いですので、今回こそは是非是非導入されることを願っています。

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Benjamin The Model Dog

5-6年前に、「クイール」という盲導犬の一生を描いた映画がありました。その映画を観た時は、スタッフの苦労など何も考えず、「うちでもリトリバー飼いたいなあ」と、呑気なことを思っていました。今回クイールと同じ種類のワンちゃんモデル「ベンジャミン」の撮影をしながら、動物映画を撮影するスタッフの方たちの大変さを肌で実感。クイール役のワンちゃんがどれだけ賢かったとしても、撮影はさぞかし大変だったことでしょう… 断って置きますが、今回モデルをしてくれた「ベンジャミン」、それはそれは良い子でした。今回初めてのモデル業ということでしたが、ご主人の指示にしたがいながら、愛嬌のあるモデル顔をしっかり作ってくれました。 今回何をしているかといいますと、実は我々のネットショップで今春発売する高齢ペット向けベッドマットの撮影を行ったのでした。従来はスタジオでプロのフォトグラファーによる撮影を行っていました。一方、よくよく考えてみると、我々のウェブデザイナー安藤さんは、描けて(プロのイラストレーター)撮れる(セミプロフォトグラファー)、マルチタレントなデザイナー。特に小物を撮らせた日には、一般的なプロより数段レベルの高い絵を撮る技術とセンスを兼ね備えています。(センスの光る、安藤さんの写真の腕はこちらからご覧になれます。私が自慢しても仕方ないのですが…) というわけで、今回は安藤さんに撮影を一任することに。モデルは親の知人のワンちゃんにお願いし、私の実家で撮影を敢行。 実家では3歳になるミニチュアダックスを飼っており、時々スナップ写真を撮っているので、犬の撮影をナメてかかっていました。気が向いたときにカシャっと撮るスナップ撮影と、商品マットを敷いて、ある程度想定した絵柄で撮影するスタジオ撮影とは、その難度には雲泥の差がありました。ベンジャミン君もおとなしくマットの上に寝そべってくれるのですが、「いいねえ、いいねえ、もう少し上目づかいで。パシャパシャパシャ。もうちょっとあご引いて。いい笑顔だ。パシャパシャパシャ。」という訳にはいきません。餌で釣りながら、顔の表情を作ろうとするのですが、もちろん我々の思惑通りには事は進みません。おとなしいベンジャミンは、普段と違う雰囲気でのお仕事に、少々お疲れ気味。そしてさすがの安藤さんも、今回の撮影は腕というより我慢比べです。 撮影開始後3時間。集中力が切れてきて、可哀そうな雰囲気が漂ってきたベンジャミン。鼻の頭に餌をちらつかされ、何度も何度も同じようなことを繰り返し、ベンジャミンはさぞかし混乱したことと思います。偶に食べさせてもらえた、見せ餌ビーフジャーキーの薄給(?)で、一生懸命働いてくれてベンジャミン、ありがとう! そんな、撮るほうにとっても、撮られるほうにとっても、それはそれは大変だったペット用ベッドマットのモデル写真。どんな仕上がりになるのか、今から楽しみです。ベンジャミンの晴れ姿をご覧になりたい方は、4月中旬にぜひショップへご訪問ください!(あと、知り合いで高齢犬の床ずれ等をご心配されている方がおられましたら、ぜひ当店ベッドマットを紹介してあげてください!)

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